【映画『先生と迷い猫』感想】猫がつくる、人と人の繋がりにほっこり。同時に厳しい現実にも胸がエグられる
こんにちは! モリスギ!編集部のナナです。
今回のにゃんこのおすすめは、映画『先生と迷い猫』です。
映画『先生と迷い猫』は、埼玉県岩槻で実際に起こった猫失踪事件が元になったノンフィクション小説が原案。
主人公は、頑固で偏屈なカタブツジジイの校長先生。家に通っていた猫が突然いなくなったのをきっかけに猫探しがはじまり、孤独なカタブツジジイが地域の人と積極的に交流していくうちに、心の変化がうまれていくストーリーです。
前半には、女優猫と名高い三毛猫“ドロップ”の愛らしいカットがたくさん! 映画冒頭でノックアウトされますよ♪
また、そんなハートフルな内容とは裏腹に、野良猫に起こる悲しい現実と人間社会の課題もきちんと織り混ぜられ、「猫と人間の共生とは何か?」を観る人に問いかけてきます。
では、映画『先生と迷い猫』の魅力を掘り下げていきましょう!
お品書き(目次)
映画『先生と迷い猫』はどんな作品?
本日、「先生と迷い猫」
DVD&Blu-ray発売・レンタル開始ですにゃん!
豪華版はかわいいミイと探す先生のかわいいスリーブ付。
特典映像も豪華にゃんです! pic.twitter.com/1PBMATLpUq— 映画『先生と迷い猫』 (@senseimayoineko) April 22, 2016
『先生と迷い猫』は、2015年10月10日に公開された劇場用作品です。
原案は『迷子のミーちゃん〜地域猫と商店街再生のものがたり〜』(木附千晶著/扶桑社刊)。埼玉県岩槻で実際に起きたストーリーです。著者と母親がかわいがっていた猫がいなくなり行方を探す中、その二人以外の迷い猫を気にかけていた人たちと出会い、近所づきあいがなくなっていた町につながりが生まれていくプロセスを書いたノンフィクションなんです。そこにオリジナルキャラクターやストーリーを織り込まれ、映画化されました。
主演は、イッセー尾形さん。俳優でもありコメディアンでもあるイッセー尾形さんの「意地っ張りでカタブツな校長先生」の演技がキラリと光ります。独特な掛け声をあげて記念写真を撮ったり、電信柱によじ登ったりする姿には、いちいちおかしみがあり、笑いをこらえられなくなります。顔の表情も、一つひとつ味があって演技にぐっと引き込まれます。
そして、猫さん。三毛猫のドロップが好演。ドロップは、2013年上半期に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」に出演したほどの“天才役者猫”。美しい3色模様と毛並み、涼し気な目鼻立ちがとてもスマートで美人な猫さんです。本編の美容室前でワンちゃんの前でおなかを見せてクルンクルン地面を這い回る姿はかわいくてたまりません!(本番で突然みせた、ドロップのアドリブだそうです)
ロケ地は、伊豆下田。美しくものどかな海沿いの町の風景にも癒やされますよ。
ー君がいると、人生は面白いー
カタブツでヘンクツな校長先生と、亡き妻が可愛がってた一匹の三毛猫。
猫が教えてくれる、町と人と、夫婦の愛のお話。
定年退職した校長先生、森衣恭一は、妻に先立たれて1人暮らし。そのカタブツさと偏屈さから近所では浮いた存在だ。訪ねてくるのは亡き妻が餌を与え、可愛がっていた三毛猫・ミイくらい。猫が好きではない校長先生は、なんとか追い払おうとするが、ミイはどんなに追い払っても毎日やってきて、妻の仏壇の前に座っているのだった。しかし、ある日突然、姿が見えなくなる。そうなるとなぜか心配になり始めると、自分の他にも、ミイを探している人たちがいることが分かる。皆、ミイに餌をやり、語りかけることで、どこか救われていた人たちだった。彼らああと関わっていく中で、先生の頑なな心が変化していくーーミイの存在が思い出させる妻のこと。
忘れてしまわねばならないと思っていたこと。失くしてからでは伝えられないことーーそしてミイを探す校長先生に奇跡が起こる。
※文章引用:映画『先生と迷い猫』より
人は、失ってからはじめて気づくことが多々あります。
妻・弥生に先立たれた、頑固で偏屈な校長先生・森衣(イッセー尾形)。書斎の窓から見える箱庭の景色は、いつも妻と野良猫の姿があり、どうしてもその愛しい姿を思い出してしまうためカーテンは常に閉めたまま。薄暗い部屋の中机に向かい、悲しさを埋めるようにロシア文学の翻訳に没頭します。
亡き妻・弥生(もたいまさこ)にお供えするクロワッサンを行きつけのパン屋に行っても「味が変わった」と店主にクレームを言ってしまう始末。声をかけてくれる地域の人たちに対して心にバリアを張ってしまい、普通に会話ができません。
森衣は、通ってくる野良猫・ミイに対しても同じ態度をとっていました。追い払っても何度も通ってくるミイに対して、つい感情的になり本音がこぼれます。
そして突然姿を消した野良猫・ミイ。地域の人とミイを探していく中、疎ましかった存在のミイから“あるもの”を与えてもらっていたことに、森衣は少しずつ気づいていくのです。
※以降、ネタバレを含む感想が続きます。ご注意ください。
女優猫“ドロップ”の、スマートなかわいさに悶絶!
にゃん、にゃん、にゃんで本日2月22日は「猫の日」。
世界中の猫たちが幸せに暮らせますように。#猫の日 #先生と迷い猫 #ドロップ pic.twitter.com/9rX3stM3H1— 映画『先生と迷い猫』 (@senseimayoineko) February 22, 2016
本作の主役は町の人間たちなのですが、やっぱり存在感はピカイチ、野良猫役のドロップ。
映画のいちばんはじめのシーン、美容院のソファでうとうと寝ているアップのふわふわ毛並みの美人なお顔に早々にノックアウト! ちょこちょこっと動くおひげもキュートです。
また、お散歩中にブロック塀を歩くその姿! 目線はまっすぐ、しっぽを悠然と伸ばして颯爽と歩く姿にもメロメロ。そして森衣家のお仏壇の前で、弥生の遺影を愛おしそうに見つめてちょこんと座っている様子は、ギュッと抱きしめたくなるほどのかわいさです。
本作では野良猫役ですので、4つの名前があります。森衣家ではミイ、美容院ではたま子、雑貨店ではソラ、バス停ではちひろ。それぞれの場所で愛されてくつろいでいるシーンが、どれも印象的でした。
これらドロップ様の自然な演技に、観る人すべてが癒やされてしまうことでしょう。
「猫がきらいだなんて、人生の楽しみの一つを知らないってことよね」亡き妻と向き合えるようになった森衣の心境の変化
毎日亡き妻の仏壇前に訪れていた野良猫ミイ。猫嫌いの森衣は、何度もミイを追い払い、ついには扉の猫用のドアと台所の猫の通り道をガムテームで強硬にふさいでしまいます。
それでもニャーニャーと何かを訴えながら強引に入ってこようとするミイに対し、ついに森衣の閉ざされていた感情が溢れ出てしまいます。
お前が来るたんびにな、この際だから言わせてもらうが!死んだ女房のことを思い出すんだ!毎日毎日っ!もう私はそれがうんざりなんだよ!二度と来るな!
亡くなった妻への深い愛情と、埋めきれない寂しさが痛いほど伝わってきます。妻・弥生が、毎日かわいがっていた猫だから当然です。
それ以来、ミイはぱったりと来なくなります。同じくして、近所の美容院や雑貨店にも立ち寄らなくなります。可愛がっていた人たちが集まり、探すことになります。チラシをつくったり、毎日探し回ったり。
森衣は、昼夜構わず探し続けます。「ミイ!ちひろ!たま子!ソラ!」と名前をかけ。白いシャツを泥だらけにしながら。不登校の男の子に笑われながらも。
そして映画のラスト。ミイはまだ見つかっていないものの、憑き物が落ちたかのように見える森衣。夜に孤児院を抜け出した不登校の男の子と手をつないで、施設に送り届けるシーンでの会話です。
(男の子)なんで猫を探すの?
(森衣)大切だからだ
(男の子)野良猫なのに?
(森衣)大切だ
(男の子)生きてる?
(森衣)わからない、もういないのかもしれない、死んでしまったのかもしれないな
どんな生き物も必ず死ぬんだよ
だから残されたものはね、折り合いをつけるのに必死になるんだよ
森衣はミイがいなくなったことで、妻を亡くした悲しみとようやく真正面から向き合えました。そしておそらくミイと生きていくことを決意していると思うのです。だから必死に探しています。
そして猫捜索を中断し、猫を通して顔見知りになった不登校の男の子と「今夜はひとりで過ごしたくないんだ」と、初めて手をつないで帰ります。そこで初めて、彼が孤児院に預けられていることを知ることになるのです。男の子が走っていった方向を、しばらくの間黙って見つめる森衣。「もう孤独になってはいけない、身近に見守るべき人を見つけた」そんな決意の表情に見えました。
森衣が、猫を通じて出会った人たち。年齢はいろいろ、それぞれに悩みを持って不器用ながら人生を歩んでいいます。心がほどけた今、猫のミイを連れながらしつこく交流し、きっと厳しくもユーモアたっぷりに彼らを励まし勇気づけていくことでしょう。
猫がいると、たくさんの人との出会いがある。だからこそ人生が豊かになる。
これが妻・弥生が森衣に伝えたかったメッセージなのかもしれません。
野良猫に餌をあげてはいけない、でも映画で再確認させられる地域猫の良さ
かつて猫は町に住み着き、町の人たちによって世話されていた動物でした。猫がいろいろな家に顔を出し、餌をもらって、どこかの家で寝て・・・、そんな風景が当たり前でした。
時が経て、猫のいる場所は無法地帯になりその数も爆発的に増えました。同時にゴミ出し場が荒らされたりするなど、地域の問題も多発しました。ただ「かわいいから」という理由で野良猫に餌をやることは社会的に許されない行為になったのです。
だからこそ、映画『先生と迷い猫』ではあえていい面と悪い面を含めて描いています。日本の古き良きコミュニティがあった時代の猫が人間にもたらすポジティブな効果も合わせて、映し出しています。
具体的には、認知症のおばあちゃんが猫といると人間味のあるいい顔になっていたり、社会に出てうまくいかない現実を猫にごはんをあげることで元気をもらっている女性がいたり、学校でいじめを受けて苦しいとき猫に話しかけることで生きる勇気をもらっている高校生がいたり。
もはや人間の世話がないと生きられない猫。ですが人間もまた、猫から何かしらのものを与えてもらっていることに登場人物それぞれを通して気付かされます。
しかしながら、野良猫に餌をやる人たちに対しての厳しい言葉も映画には登場します。
失踪した野良猫ミイを探すチラシを貼ってもらうため、森衣が訪ねた自動車整備工場を営む男性。一見とっつきにくそうな顔つきですが、3匹飼うほどの大の猫好き。仕掛け罠を渡し、ためらう森衣に次のような厳しい言葉を投げつけます。
猫の面倒をみようと思ったら必要なことだろ
猫にエサをやっているやつはだいたいそうだ
無責任にかわいがって猫に遊んでもらっても、猫のことは考えていない
そういう輩のせいで野良が増えて、保健所で処分されていくんだ
森衣はしばし黙り込み「叱られているんですよね」と情けない声。「叱られて当然だろ」と男性。カタブツな校長先生が素直にお叱りを受けている様子は、ぷぷっと笑ってしまうシーンですが、見習うべき姿でもあります。
映画前半で家から家へを渡り歩く「地域猫」にほっこりさせつつ、中盤では無責任に野良猫に餌をやることが今の時代ではNGだと、しっかりメッセージとして込めています。猫への虐待、交通事故、迷子の危険性、地域猫の繁殖・病気の蔓延など、実際に起きている社会問題として見過ごすことはできません。
特に必見すべきは、保健所のシーン。野良猫ミイを可愛がっていた人たちと協力して迷い猫のチラシをつくる前に、森衣がたずねた場所です。檻に入れられた猫たちの目が、さみしげに森衣を追いかけるのです。この子たちの行く末がわかってしまうだけに、胸の奥がぎゅっと締め付けられます。
だからこそ、今の時代は野良猫にしてはいけないのです。ほっこりストーリーだけにとどまらない、このメリハリ具合がいいなと感じました。
映画『先生と迷い猫』まとめ
映画『先生と迷い猫』をご紹介しました。野良猫と地域のつながりといったほっこりエピソードを中心に、人間と猫との共生を改めて考えさせられるハートフルな映画でした。
とはいえ、野良猫の虐待や保健所に届けられる猫たちの殺処分というつらく悲しい現実もきちんとメッセージとして込められていることが印象的です。
猫との暮らしは、誰かをお世話をし慈しむ気持ちを育んでくれ、心に潤いを与えてくれます。しかし、一時可愛がるだけでは猫も不幸になってしまう時代。安易に手を貸すだけではなく、その先もきちんと考えなければいけません。
猫の命も、人間と同じ尊い命。映画のラストが、観る人の解釈で森衣のその後を想像させるいいシーンでした。失ったもののかけがえのなさに気づいた森衣が、野良猫ミイといっしょにしあわせに暮らす未来を意図するものでありますように。
※動画配信サイト
AmazonPrimeVideo、ビデオマーケット、U-NEXT
※「にゃんこのおすすめ」カテゴリの記事は、エンタメ応援と「小さな命と最後まで一緒に過ごしてほしい」という活動の元に作成しています。
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こちらは、出会えた猫ちゃんと最後まで過ごして欲しいという想いを込めた作成した、絵本の朗読動画です。
<にゃんこから10の手紙>
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<Answer〜ニャンダフルライフ>
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