「おかえり!」アニメファンのふるさとに。『あの花』から10年、アニメ聖地となった秩父市の変化とは?【秩父市観光課】

こんにちは!モリスギ!編集部のナナです。

みなさんには、人生の支えになっているような映画やドラマ、アニメ作品がありますか? またその作品のロケ地を実際に訪れ、その後何度も足を運ぶような「ふるさとのような地域」はあるでしょうか。

今回紹介するのは、アニメ作品『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(以下、『あの花』)の舞台となり、若い世代に大注目された埼玉県秩父市。『あの花』放送スタート直後から10年に渡り熱心なファンが幾度も訪れ、埼玉県屈指の“アニメ聖地”となっている地域です。

おそらく街の空気が一変したであろう秩父市。住民に戸惑いはなかったのでしょうか?

そこで、秩父市観光課アニメ担当として10年間尽力されてきた中島学さんにお話をうかがいました!

【お話をうかがった人】
◆中島学さん

秩父市観光課アニメ担当、『あの花』放送がスタートした2011年7月から10年担当。
秩父アニメツーリズム実行委員会事務局も兼任。
『あの花』を含む『心が叫びたがってるんだ。』(以下『ここさけ』)『空の青さを知る人よ』(以下『空青』)“秩父三部作”をはじめとするアニメ作品を通じた秩父市のPRに尽力。
・秩父観光なび:https://navi.city.chichibu.lg.jp/

◆アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
・公式サイト:https://www.anohana.jp/tv/
・劇場版公式サイト:https://www.anohana.jp/
・10周年記念公式サイト:https://10th.anohana.jp/

出会いは偶然?必然? 『あの花』と秩父市が出会ったきっかけ

©ANOHANA PROJECT テレビアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』キービジュアル


ーーまずは、8月28日(土)『あの花』10周年記念イベント、お疲れさまでした。

はい、ありがとうございます。『あの花』とともに駆け抜けた10年間でした。ファン、制作会社、地元の方とともに過ごした10年でもあるので、放送スタート当時から思い返しながら感慨深い1日を過ごしました。

 

ーーはじめに『あの花』の舞台地として秩父市が候補になったエピソードにはどういったことが?

実は『あの花』と秩父市が出会ったのは、とても偶然の出来事でした。もともと候補地ではなかったのですが、脚本の岡田麿里(まり)さんが秩父市出身ということでロケハンにまず秩父市を訪れてくださって。実際に街をまわり「作品の世界観と一致する」と感じていただけ、秩父市が『あの花』の舞台設定のモデルになりました。

『あの花』の舞台になると秩父市が知り制作会社とお付き合いがはじまったのは、アニメが放送される半年前。2010年11月頃です。秩父市はまったく何も知らない状態で制作が進んでいました。

私たちが唯一行動できたことは、市民に「秩父市が舞台設定のモデルとなっているアニメ番組が放送されます」と広報誌で小さくお知らせすることだけでした。

秩父市街地。盆地にかこまれ、気持ちのいい眺望がひろがる

 

ーー『あの花』が、秩父が舞台として描かれているとわかったときの秩父市のみなさんの反応はいかがでしたか?

もともと、アニメに詳しい職員が当時はいなかったんです。だから「秩父が舞台のアニメが放送されるんだな」くらいの反応でしたね。

放送時間も遅く馴染みがなかったり(※深夜0時台)、内容もいっさい知らされていませんでした。ですから、いったいどんな話なんだろうと半信半疑にも思っていました。

しかし、2010年4月に放送がスタートするやいなや秩父市に新たな風が吹き込みます。ファンの方はすごいですよ、「ここは秩父じゃないか?」と口コミで広がっていくわけです。その流れで、秩父市にも問い合わせがたくさん来るようになりました。

でも、市として「秩父が舞台」だと正直にお伝えできなかったんですね。「秩父に見えるけれども、秩父の物語ではない」というアニメ制作側の独特のルールがありまして。フィクションやファンタジーの要素を大事にしたい姿勢ですよね。そういった理由で、放送当初は問い合わせがあっても制作側の意図をしっかりと守りました。

とはいえ秩父市としてはPRしたいですし、ファンの方にもお伝えできなかったので、本音では心苦しかったですね。

旧秩父橋。『あの花』を象徴する聖地に今もなおファンが多く訪れる

 

ーーアニメの世界観を守るというのは大事なことなんですね。では、いつ頃から秩父市は正式に『あの花』のPRをはじめたのでしょうか?

まず、放送当初の状況をお話させてください。当時は東日本大震災の1ヶ月後で、観光名所である芝桜が満開だったんです。しかしですね、観光自粛で人が来ませんでした。毎年大勢来られる観光客の姿が、4月、5月は本当に少なくて。

でも、リュックを背負ってスマホとカメラを手にしたいわゆる「オタクファッション」の人たちが秩父にあふれているんです。『あの花』が放送されるごとに聖地巡礼する人たちが目に見えてわかりましたよ。街並みがガラっと変わりました。

住民にとってもお客さんが増えるということはとてもうれしいことで。「なんでこんなに若い人たちが集まってるの?」と商店街の人たちも不思議に感じて『あの花』を知ることになりました。ファンを通じて秩父が舞台のアニメ作品がすごいということが、街中にも自然と広まっていったわけです。

そういうこともあり制作会社に相談しながら、西武鉄道さんにお願いして作成してもらったポスターを駅や街中に掲出したり、放送中の5月頃から商店街に『あの花』の街灯フラッグをつけるなどしました。秩父市としてPRをスタートした第1歩でしたね。

2011年放送当時に掲出した『あの花』広報ポスター

 

ーー4月放送で5月にもう掲示!ポスターや街灯フラッグへの準備がかなり早いと感じたのですが、ノウハウがあったんですか?

実は『あの花』放送前の2010年、西武鉄道さんが『銀河鉄道999』のラッピング電車を走らせる企画があり、そのイベントを秩父市も共催することになったんです。秩父にもっと若い世代を呼び込みたい、新しい鉄道ファンやアニメファンに来てもらいたいという目的です。2010年8月31日に開催しました。

そのイベントを開催するために立ち上げたのが「秩父アニメツーリズム実行委員会」でした。西武鉄道さんは、アニメ制作会社が多くある練馬区、杉並区にも電車を走らせています。終着駅の秩父市としてもアニメとからめて何かできるのでは?ということではじまったのがきっかけです。

実行委員会が発足したのは、『あの花』の前。『銀河鉄道999』のイベントが終わり次の企画を検討していたときに、『あの花』の情報が入ってきたんです。

「秩父アニメツーリズム実行委員会」という組織が機能していたことで、ポスターや街灯フラッグの作成もスムーズに進みました。

2011年放送当時の街灯フラッグ

 

ーー西武鉄道さんとも連携がとれていたからこそ動きが早かったんですね。街中にアニメの装飾がくわわり、秩父市はどんなふうに変わって行きましたか?

2011年当時はまだ「オタク」という言葉がプラスのイメージではありませんでした。「アニメファンが大勢くるよ」ということが実態として想像できないので、受け入れられるのだろうかという不安のほうが多かったですね。いわゆる「コスプレ」などの文化も含めて。

でもそんな心配は杞憂に終わりました。放送当初秩父市として何もアクションができなかったとき、ファンが商店街の人たちに「秩父が舞台のアニメがあってここに行きたいのですが、どうやって行けばいいですか?」など道をたずねていたんですね。ごく自然に交流がはじまっていました。

そんなやりとりの中で年配の人たちも、アニメの舞台になっているんだと少しずつわかっていった感じです。

そして、放送終了後の7月から秩父市も公式として活動できるようになり、コラボイベント(「ANOHANA FES.」動員数5,000人)を共催できるまでに至りました。

作品を街中に届けられた最大の要因は、まぎれもなくファンのみなさんなんですよね。

 

ーー街中に人が増えるとトラブルが多発しそうですが、そのあたりはいかがでしたか?

アニメファンと街の人達との間に、大きなトラブルはいまだに報告として届いていません。

おそらく、ファンは一般の観光客の方とは違う姿勢で秩父を訪れていらっしゃるんですね。作品をいちばんに愛してらっしゃるので、その舞台に迷惑をかけると作品にも悪影響が出てしまうと。悪い噂が流れると聖地も行けなくなるということを、よく理解していただいてるなと感じます。

『あの花』の世界観を保つために、すすんでゴミ拾いもしてくださったり(笑)。本当にマナーを守って訪れてくださっているなという印象が強いですね。

あと、ファンはSNSでのやりとりが活発なんです。マナー違反をしていそうな聖地巡礼中のファンを見つけたら、注意してくれるんですよ(笑)。ありがたいことです。

札所17番定林寺。劇中にこの場所でキャラクターが飲んだ缶ジュースは、売切続出

 

ーー聖地におけるファンのパワーは絶大ですね。『あの花』以降秩父市が舞台という事実は公式扱いとなったわけですが、「ここさけ」や「空青」のロケハンに同行するようになったのでしょうか?

『ここさけ』の時は、お出迎えのみさせていただきました。そのあと私たちはいっさい同行もしていません。その理由は、作品づくりに素人の考えが入るとファンにとっては中身が弱いものとなるからです。ですから私たちは制作にいっさい関わらず、完成した作品をファンのみなさんといっしょに盛り上げていくというスタンスをとっています。

秩父三部作には実際のお店がモデルとなった登場します。ですので「このお店に作品掲載の許可をとってもらえますか?」という依頼はありますね。制作会社から預かったイラストのラフ画を持って実際にお店にうかがい許可をとるなどのサポートはさせていただいています。

また、『空青』のときには私が運転手として同行しました。秩父の道路事情は私のほうが詳しいので(笑)。行きたい場所のリクエストがあればそこに急遽向かう、といったところです。

 

地元ファンの意見が盛り込まれた「舞台探訪MAP」

秩父市観光課が作成した「舞台探訪MAP」
観光情報館などで無料で配布されています

 

ーー 聖地巡礼といえば「舞台探訪MAP」はファンに人気なんですよね!作成の裏話があれば。

実は『あの花』の前に、2007年放送『らき☆すた』という女子高生4人の学園アニメで、埼玉県久喜市ではすでに聖地巡礼がはじまっていたのでいろいろな情報を聞きました。そんな中から『あの花』のマップをつくろうという雰囲気になっていきましたね。

どの場所を掲載したらいいのか試行錯誤していたところ、地元のファンがわざわざ窓口に訪れて情報を伝えにきてくれたんです。「この場所は絶対にファンが喜ぶから載せたほうがいい」と。普段若い人が市役所に来ることは少ないのでびっくりしました。それだけ熱量があるのだなと感心しました。

 

ーーええ!市役所に!? 地元ファンはどこで「舞台探訪MAP」を作るという情報を仕入れるのでしょう?

地元のアニメファンはずっと秩父にいらっしゃったわけなんですが、当時「オタク」としてオープンに活動するには後ろめたい気持ちがあったようです。でも『あの花』がきっかけに秩父が有名になり、ファンが聖地巡礼している現状。秩父市もアニメをきっかけに観光に活かそうとしている。「オタク」にとっては、好きな作品を堂々と好きだと言える環境になったんですね。

で、観光課がアニメの窓口だということがわかり、「聖地巡礼MAPを作るなら」と自主的にアドバイスに来てくれました。聖地として有名な旧秩父橋にもみずから定期的にゴミ拾いに行ってくれるんですよ。

地元ファンのみなさんにもポジティブな変化が見えること、本当にうれしいです。

地元ファンの意見がたくさん盛り込まれた、詳細なMAP
巻末には、声優のコメントも掲載されています

 

ーー作品を愛しているからこその行動なんですね。舞台になっている地元を美しく維持していきたいという気持ちがとても素敵です。

そうですね。それはファンの方も同じ気持ちでいてくれていて。だからというわけではないのですが、毎年7月上旬〜中旬に『あの花』のイベントとして「聖地ちちぶ・お掃除大作戦!」を実施しています

ピカピカになった旧秩父橋で記念撮影

 

単なる掃除なんですよ。ゴミ拾いとか落書きを消すだとか。にも関わらず、参加者の3分の2が県外からというおもしろいイベントになっています(笑)。 中には新潟、名古屋など遠方から来てくださる方も。年々参加者さんも常連になってきてますね。イベントが秩父に来るきっかけになっているようで。

アニメ担当10年にもなると私もファンの方々とかなり仲良くさせてもらっています(笑)

『あの花』ヒロイン“めんま”のコスプレでお掃除に参加するファンも

 

ーー心あたたまる交流ですね。ファンを10年観てこられて地域の変化をどういうふうに受け止めていらっしゃいますか?

そうですね、『あの花』以前は年間約400万人くらいの観光客はいました。若い人が少なかったんです。観光も自然豊かな場所が人気で、街歩きをする人たちは本当に少なかった。

でも『あの花』放送をきっかけに聖地巡礼をするファンが増え、その流れで街歩きをする人たちがぐんと増えました。コロナ前の平成29年は約580万人と過去最高人員を記録しました。多くなったのは若い方たちだなと肌感でわかります。

商店街にもおしゃれな新しいお店も増え、街歩きもますます楽しくなって。商店街も活気づいて。若い人が増えていくと同時に観光資源もバラエティに富んだところが、大きく変化したところですね。

 

「観光課」の枠を超えて、『あの花』ファンと想いを共栄・共創

ーー秩父市の立場で、ファンとどう交流しているのでしょうか?

アニメファンとつながるツールとして、Twitterを活用しています。秩父市観光課のアカウントでは「(アニメ担当N)」と末尾に記載し私の情報だとあえてわかるようにしています。

別に個人のアカウントもありまして、そこでアニメファンと密に繋がってDMで交流したり意見交換したりしています。ファンが今どこに行っているのか、今どんなアニメ作品が流行っているのかなど、教えてもらったりしています。個人的に仲良くなると飲み会などにも積極的に参加してたくさん話をしていましたね。今はコロナがあるので飲み会ができず寂しいですけど。

10年間こうやって繋がれて、リアルなファンの声を聞くことができます。また逆に、ファンに助けてもらうこともとても多くなりました。

 

ーーお仕事の範疇をこえて積極的に交流、すごいですね!中島さんのお人柄もあるような気がします。

『あの花』が終わってから公式として制作会社と繋がりを持つ中で、ファンからの多くのリクエストや要求にどう具体的に動いたらいいのかわからないことがありました。

そこで参考にしたのが久喜市鷺宮が舞台の『らき☆すた』。ファンが中心になって動いていました。そこに商工会がタッグを組んでイベントを共同企画しているんです。

この例を目の当たりにして、ファンと交流を持たないことには聖地としても形にならない、さらには継続もできないことがわかりました。

だから、翌年にTwitterをはじめたんです。ファンが訪れていたら声をかけたり、ファンが企画するイベントにもみずから行って交流を深めています。

 

ーー中島さんの中でも何か心境の変化はありましたか?

ファンの作品に対する熱は10年経ってもブレていません。それどころかもっと大切なものになっていますね。心の底から作品について語り合えるので交流をもって本当によかったです。ファンに助けられ支えられてきた10年なので。

秩父が、ファンにとってふるさとのような場所になっていればいいなと思っています。

 

ーー10周年記念イベントはどんな雰囲気でしたか

「10年後の8月」という共通ワードで2021年の8月を迎えました。とても盛り上がりましたね。ただコロナ禍ということで、人数制限もあり現地は混雑はしなかったです。でも「花火だけでも楽しみたい」とこっそり離れた場所で見守ってくれたファンもいました。

聖地に敬意を払いながら『あの花』10周年をお祝いする方が多い印象でしたね。

観光課としても、作品と出会えたうれしさ、ファンとつながれた幸せ、でもこの日を迎えてなぜかさみしいといった感情が入り混じりまして。ファンからもますます秩父が好きになるという言葉もたくさん寄せていただいています。

この8月は10年の年月を改めてかみしめる貴重な時間だったのかなと思います。

©ANOHANA PROJECT 10周年記念ビジュアル『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

再び街灯フラッグで『あの花』10周年をお祝い

 

ーーまさに『あの花』、ファン、地域の方々とともに積み重ねてきた10年というわけですね。

そうですね。8月1日限定で秩父鉄道のSLとコラボレーションして『あの花』のヘッドマークで走らせ、熊谷駅〜秩父駅まで乗車して車内のイベントを開催したんです。

秩父駅に着いたら数年ぶりに会ったファンの方が、子どもを抱いていたりして。「ああ、お子さんが。そうだよね。『あの花』10年も経つんだもんね」と声をかけたり。

そのファンの方も久しぶりに秩父に来られたようです。みんな気持ちは変わってなくても、個々の人生に変化があって、確実に年月が過ぎたんだなと感じますし、でも気持ちだけは変わらないんだなと。

映画やドラマとは違う力を、アニメから感じますね。

『あの花』10周年コラボイベントSL。秩父鉄道と秩父市の共催

 

ーー10年後ということで、地域の方々の声はいかがでしょうか?

私たちがいちばん大切にしている場所が、「ほっとすぽっと秩父館」です。明治時代につくられた元商人宿の木造建築で、『あの花』の舞台でもあります。アニメ関連グッズも掲示し、ファンが休憩できるような場所になっています。

ファンが集うほっとすぽっと秩父館。ノスタルジックな雰囲気

 

秩父を数年ぶりに訪問するファンの方に「おかえり!」と声をかけたり、ファンの方は「覚えてくれてたの?」と驚かれたり。家族旅行のおみやげを届けにきたファンもいたと聞きました。ファンにとっては「帰ってこられる場所」というか「秩父の居場所」のような場所ができあがってるんですね。

ですので、施設の方にお願いしてなるべく休館日がないようにしていただいています。一人で訪れても、SNSで「今いるよ」と投稿すると、「これから行くよ」と地元ファンが駆けつけたりしてるんです。

地域の方が協力してくださっているからこそ成り立っていることですね。ファンの居場所があるというのはとても大きなことですので、とても感謝しています。

こういう地道な交流の積み重ねが10年あったということが今に繋がっています。商店街の方や地元ファンなど地域の方の献身的な行動のおかげだなと感じています。

ほっとすぽっと秩父館の一角には、秩父三部作のグッズがところ狭しと展示されている

長井龍雪監督や脚本家の岡田麿里さん、声優のサインも

◆ほっとすぽっと秩父館
住所:埼玉県秩父市宮側町18-2
開館時間:午前10時から午後6時まで(当面無休)
電話番号:0494-24-8856

 

ーーこれからの秩父市は、どのように進展していきたいですか?

『あの花』をきっかけに地域の盛り上がりをつくれたことは確かですが、それは人との繋がりがあったからこそ感謝の気持ちを忘れず、今後も各方面のみなさんと関係性を継続していきたいです。

また、テレビなどのメディアに出ることは、秩父を色々な人に知ってもらうために大切なことだなと感じています。 秩父をまだ知らない、来たことがないという方はたくさんいらっしゃるので、メディアを含めた情報発信というのは大切にしていきたいですね。取材なども積極的に受けてきたいと思っています。

 

ーー最後に、中島さんおすすめの秩父スポットやご当地グルメを教えてください! 読者の方へメッセージをどうぞ!

今食べたいのは、秩父ホルモンですね!2年くらい飲みに行けてないので。またファンの方といっしょに地元のおいしいものを食べて飲んでワイワイできるといいなという気持ちが大きいです。

『空の青さを知る人よ』にも登場する秩父ホルモン。仕事終わりのビールがすすむ!

 

スポットでは、定番ですが旧秩父橋です。『あの花』のシンボリックな場所でもあり、私にとっても原点に戻れる場所です。

旧秩父橋。すべてはこの場所から

 

秩父三部作をまだご覧になっていないみなさん、ぜひコロナ禍で外出できない時に見てみてください。そして気軽に旅行ができるようになったら作品の世界によりリアルにひたれる秩父に、ぜひ遊びにきてくださいね!

ーー中島さん、お忙しい中貴重なお話をうかがいありがとうございました!

※掲載画像、舞台探訪MAP他資料は、秩父市より提供していただきました。

 

あとがき

『あの花』が放送スタートして10年、秩父の変化をみなさんはどんなふうに受け取りましたか?

取材中のエピソードを少しお伝えすると、中島さんがお話しているとき終始目尻が下がったままだったんです。この10年をしみじみと振り返っておられる様子にはこちらも感極まるものがありました。

仕事という範疇を越えて作品を純粋に愛して秩父を楽しく盛り上げているという気概も感じましたね。それも含めて秩父の魅力のひとつになっているのでしょう。

証拠として『空青』のスペシャルダンスムービーをご覧あれ。アニプレックス公式動画での市役所職員のみなさんのこの弾けっぷり!元気をもらえますね!制作会社との良好な関係性が伝わってきます。

どんと見て、どんと食って、どんと撮って、どんと住んで、隅から隅まで、どんと来て GOOD!
※歌詞引用:「秩父どんと恋」 Lyric/岡田麿里

アニメ愛と人情あふれる秩父へ、ぜひ訪れてみてくださいね!

 

◆10周年記念「あの花」OP映像「サークルゲーム」(Galileo Galilei)
※「劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」主題歌

◆10周年記念「あの花」ED映像「secret base〜君がくれたもの〜」B ver.

秩父の美しい風景がアニメで楽しめます!
◆あいみょん「空の青さを知る人よ」



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