「鎌倉殿の13人」名将・畠山重忠。埼玉県民に愛される重忠公ゆかりの地3選(畠山重忠公史跡公園、満福寺、菅谷館跡)
こんにちは! モリスギ!編集部のナナです。
NHK大河ドラマ『青天を衝け』では、埼玉県深谷市出身の渋沢栄一が大活躍しました。引き続き2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、深谷市ゆかりの武将・畠山重忠公が登場します!
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— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 1, 2021
畠山重忠公は、源頼朝や北条義時から厚い信頼を受けていたほどの“謹厳実直”な性格で、歴史ファンからも多くの支持を集めている武将です。
こんにちは☁️
今日の話題は来年の #大河ドラマ #鎌倉殿の13人 です。#青天を衝け に続いて深谷生まれの武将 #畠山重忠 公が登場します。演じるのは #中川大志 さん。公開された中川さんの扮装姿がとても凛々しい!来年の大河ドラマも楽しみですね! #深谷市 https://t.co/3SKiw3Yxun— 渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館【公式】 (@fukaya_seiten) December 14, 2021
埼玉県深谷市出身の武将・畠山重忠はどんな人物だったのでしょうか? 埼玉県にあるゆかりの地も含めてご紹介していきます!
お品書き(目次)
「鎌倉殿の13人」頼朝に信頼され北条義時からも力量を認められていた【畠山重忠】とは?
/#畠山重忠(はたけやま・しげただ)#中川大志
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義時と同年代の武蔵の若武者。謹厳実直な人柄で、義時とは互いの力量を認め合う仲。知勇兼備で武士の鑑(かがみ)と言われる。畠山家は平家とのつながりが深く、頼朝の挙兵では大いに悩む。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/p0vMJyWO0e— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 13, 2021
畠山 重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。
源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて子とともに討たれた(畠山重忠の乱)。館は、鎌倉筋替橋の東南。
存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された。※文章引用:Wikipedia「畠山重忠」
源平合戦から鎌倉幕府創世記を支えた畠山重忠。知性と勇敢さを併せ持ち、忠誠心も深く、源頼朝からの信頼も非常に厚かったとされている武将です。
ほぼ同年齢の北条義時とは良きライバル。切磋琢磨して時代を創り上げてきた仲間ですが、しかし戦国の世、その力に嫉妬する権力者たちは多くいるもの。頼朝亡き後は、義時の父・北条時政の暗躍により無念の死を遂げてしまったのだとか。
文武両道で思いやりの心を忘れずにまっすぐに生きた畠山重忠公ではありますが、詳しい史実は残されていません。しかし、吾妻鏡(東鑑)、平家物語、源平盛衰記、愚管抄などに、物語としてエピソードが残されており、その勇敢な姿に多くの歴史ファンの心を鷲掴みにしています。
畠山重忠公史跡公園(埼玉県深谷市)。畠山重忠の生誕地と伝えられている場所
《畠山重忠公ノ像》史跡公園内
一ノ谷の戦の鵯越の逆落としの際に愛馬「三日月」を背負って下りたという伝説の光景を表したもの。
実際は義経軍搦手の本隊にいて一ノ谷の西の手に向かったので、義経の別働隊(鵯越え)にはいなかったとされる。
馬を大切にする情け深さを美談として物語にしたのだろう pic.twitter.com/8BfoseAwhW— 桃代 (@momookimomo) March 7, 2021
長寛2年(1164年)畠山重忠が産声をあげたと伝えられている場所。
馬を担いだ重忠の銅像や、重忠の産湯と伝わる井戸(※新編武蔵風土記稿に記載あり)、重忠の墓とされる「凝灰岩製の五輪塔(県指定)」があります。
一の谷の合戦の際、急峻な崖・鵯越(ひよどりごえ)で愛馬を担いだとされる伝説を受けてつくられた銅像は、たくましく雄々しい武将の姿を現在に彷彿とさせますね。
また、松尾芭蕉が重忠について詠んだ句「むかしきけ(昔聞け) 秩父殿さえ すまふとり」の句碑も。
「秩父殿」とは重忠のこと。『古今著文集』に関東で名の知れた「長居」という相撲取りを打ち負かしたという話があります。芭蕉は、深谷の地を旅した際に、さまざまな文献に残る豪傑で力持ちの重忠の勇姿に、ありありと想いを馳せたのでしょうね。
<アクセス情報>
・施設名:畠山重忠公史跡公園
・住所:埼玉県深谷市畠山488
満福寺(埼玉県深谷市)。自ら再興した畠山重忠の菩提寺
《満福寺》埼玉県深谷市畠山
畠山館から北東500mに位置する。平安時代の創建で畠山重忠が寿永年間に再興して菩提寺にした。
本堂西に観音堂があり重忠の等身大の千手観音が安置されている。
観音堂の裏に重忠廟と近年建てられた供養塔などがある。
本堂は法事をしていた為遠慮させて頂いた。また次回! pic.twitter.com/EM3vu8QGYc— 桃代 (@momookimomo) March 8, 2021
満福寺は、後鳥羽天皇(1110年頃)の時代に、深海上人が草創した寺院です。
その後、寿永年間に畠山重忠が自ら再興した菩提寺として伝えられ、位牌が安置されています。
別棟の観音閣には、重忠の守り本尊である千住観音像も。
<アクセス情報>
・施設名:満福寺
・住所:埼玉県深谷市畠山931ー1
菅谷館跡(埼玉県嵐山町)。御家人になった重忠が居城とした館跡
おはおは〜
菅谷館跡です。武蔵嵐山駅から杉山城の反対側にあります。杉山城からだと1時間歩くことになります😥チカレタビ-
菅谷館の祖、畠山重忠は鎌倉幕府の御家人で、今度の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てくるようですので注目ですね
それでは今日もガンバリましょう🏯🐴 pic.twitter.com/xpKnLjqq9r
— 後野いもぴ🐴 (@usironokyan) December 20, 2021
重忠の住まいと伝えられている菅谷館跡(すがややかたあと)は、国指定史跡比企城館跡群のひとつ。崖の上に築かれた平城(※平地を利用して築かれた要塞のこと。平城のメリットは、多くの兵力を収容できること)です。平成29年には「続日本100名城」に任命。
菅谷館は大きな城域と巨大な堀が多く整備されている、簡単に攻め入ることのできない複雑な設計。頼朝の御家人となってから、拡張整備されたと言われているのだとか。
二の郭跡の土塁の上には、畠山重忠像が悠然とした立ち姿で立っています。パワー系の清廉潔白な鎌倉武士として名高い畠山重忠の生き様を穏やかに感じられる場所です。
菅谷館跡の中には「埼玉県立嵐山史跡の博物館」があります。展示テーマは、中世の城と武士。より風景を味わいたい方はぜひ足をお運びくださいね!
埼玉県立嵐山史跡の博物館の企画展「戦国の比企 境目の城」紹介動画、第2回を公開します。今回は「国指定史跡 比企城館跡群 菅谷館跡」を紹介しています。菅谷館跡は、源頼朝の有力家臣である畠山重忠が住んだ館跡が、戦国時代に拡張され、整備された城郭といわれています。#おうちでミュージアム pic.twitter.com/JyhsrPL64q
— 埼玉県文化資源課 (@saitamabunkazai) February 8, 2021
<アクセス情報>
・施設名:菅谷館跡
・住所:埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷
・最寄り駅:東武東上線武蔵嵐山駅
・公式ホームページ:埼玉県立嵐山史跡の博物館
Googleマップ搭載、ストリートビューの使い方
Googleマップの「ストリートビュー機能」を使って、世界中の名所をめぐることができます。
使い方は簡単ですよ。
1.スマートフォンに「Google Maps」アプリをダウンロード
2.「Google Maps」アプリを開く
3.検索窓で目的地を検索
4.ヒットした地図の左下にある、反時計回りの矢印が書かれた小さな写真をタップ
この流れで、ストリートビューを楽しめます。
見たい景色を見るには、画面をスクロールしたり、拡大したりします。
地図上で見たい場所を長押しすると、赤いピンで指定されます。ストリートビューが見られる場所には小さな写真が左下に出現します。
まとめ
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。13人には入っていませんが、源頼朝に仕え北条義時の良きライバルとして源平争乱から鎌倉幕府創立期を支えた武将として有名です。
中でも、一の谷の戦いでの愛馬を背負って崖を駆け下りたという逸話。背負った理由は「馬にケガをさせてはいけないから」。重忠のたくましさだけでなく優しさや思いやりも感じられるエピソードで人気の秘密が伺えます。
謀反により42歳で無念の死を遂げた畠山重忠。『鎌倉殿の13人』ではどう描かれるのか、義時や頼朝との掛け合いも含めて楽しみですね!
畠山重忠公をより身近に感じたい方は、ぜひゆかりの地へ行ってみてください。
※「広報ふかや」2022年1月1日号で、畠山重忠公役の中川大志さんが重忠ゆかりの地を実際に訪れていらっしゃる様子や小島進市長との対談の様子が掲載されていますよ!
※大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/kamakura13/
公式Twitter:https://twitter.com/nhk_kamakura13
※『鎌倉殿の13人』13人の有力御家人の一人、比企能員(ひきよしかず)。比企氏についてはこちらの記事をご覧ください!
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